記録

記録していくだけです

日記とブログ、SNSの記録ツール 「わたしの場合」

これまでいろいろなブログツールに手を出してきた。

ブログもだけどSNSでの記録もそういう類いなのかな?

ブログで一番初めて公開して投稿したのはアメブロだったと思う。

それでもmixiのあとに始めたから2007年だね。

mixiが出始めた時、あれは承認制だったかな?

2006年に招待してもらってやり始めた。

友達に見せる日記。

この間、読み直ししての感想…。

この稚拙な文章はなんだぁ。ちょっと恥ずかしい感じだったよ。

その分も含めて、もっと大人な?(なんそれ?)文章を書きたいと感じた。

アメブロも見直したけど、こっちも同じ感想だった。

これを人前に出していたのかと思うと顔から火が出る(誰も見てないって)

アメブロはもうアカウントも消したけど。

思い当たるブログ、SNSなど記録ツールは何を使ったかな

 

mixi 

アメブロ←アカウント削除

ヤプログ←サービス終了

Google+←サービス終了

*ヤフーブログ←サービス終了

Blogger←1~2回で使わなくなった

*SESSE?(忘れた)←IDなどアドレスさえも忘れた

*ジョルデ←2年前まではよく使っていましたが最近使っていない

Googleメモ←これ便利です。

*ワンダーブログ ←サービス終了

facebook

*インスタグラム

Twitter

*魔法のiらんど←昔使っていたものとは別物になっていました。

 

サービス終了したものも含めて、思い出すだけでこのくらいは使っている。

結構たくさん使ってるね。珍しもの好きなのかな。

でも、どれを使っていても続かなければ意味がない。

何かひとつでも続けていけているものに焦点をあてて、頑張るべきか?

自分的には頑張る表現があまり好きではないが、楽しく続けられることが一番いいのかなと思う。

 

 

 

《感想》

いろいろ使っても継続しなければ、意味がない。

昔の文章を見直すと稚拙な印象を受けるのは自分が成長したから。

それを感じて今から自分はどう動くか?

文章力を鍛える。

継続する力を鍛える。

 

 

 

もちろん!このアイスですよっ!

今週のお題「好きなアイス」

 

私の好きなアイスはあずきバーです!

 

おや?今、はたっと気が付いたがあずきバー氷菓だったはず。

 

アイスでいいよね。

 

なぜ私があずきバーが好きかというと

 

ただ単に「あずき」(小豆)の他にないからです。

 

あずきが大好きなんです。

 

あのつぶつぶ感サイコーです。

 

こしあん派の方たちに反対にされそうですね)

 

あと、氷菓だからたくさん食べても罪悪感がない(笑)

 

 

話は飛ぶが

 

おはぎも大好きでお彼岸の時におかんが作ってくれたおはぎ。年2回も!

 

もちろん、あたくしも手伝いましたよ。

 

だって作るのがおもしろかったし、食べなきゃならんし!!

 

豆からあんこを作り、甘さ加減も絶妙!

 

朝ごはん(えっ⁉朝ごはんと思われた方、たぶんあなたの感覚は正しい)や

 

おやつによく食べていました。

 

食いすぎ(笑)

 

話を戻す。

 

 

というくらいあずきが好きなんですわ。

 

あずきバーはうちのおとんも好きでね、

 

近くのコンビニ…………といっても車で15分(遠い!!)のところまで買いに行ったり。

 

最近、おとんは歯が悪くなったので氷菓みたいな固いものを好まなくなった(寂しい)

 

あずきバーを見るとおとんを思い出したり、実家でのことを思い出すような代物です。

 

というか市販の大容量アイスクリーム全般にそういう思い出が込められている。

 

 

バングラデシュにいてもいないのと同じ

今日は7月最後の日です。

ロックダウン8/5まででしたが8/1から仕事を始めてええらしいですわ。

えー、私的には困ったよ。

せっかくベンガル文字を覚えようと必死になっていたのに日数が削られた。

いやいや、日数削られたからと言って地道にがんばれよといったところだよ。

私、がんばれ。

 

バングラデシュにいてもいないのと同じというのは、出歩かないから…。

 

これにつきます。

本当は

 

「出歩きたいのよ!!」「あちこち行きたいのよっ!」

 

心の中の私が叫んでおります。

 

長く住んでも近場しか行かないから、

バングラデシュの事についてなにもわかっちゃいない。

かなり愛着もってるんだけどな。

 

てか、文字とか覚えようという気がさらさらなくて覚えようともしなかったんだが

これはどういう変化かしらん。

 

アルファベットじゃない文字は拒否反応が出てたんだけど、

なんとなく成り立ちがわかるようになったらもう少しやってみたいと思わせてくれる

 

せめて数字は覚えとけよって話です。

 

みなさん、違う国に行ったら、そこが英数字を使わない国だったら、

せめて数字は覚えませう。あと基本的あいさつかな。

 

 

 

 

 

記憶の中のあなた

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

一番古い記憶を引っ張り出してみる。

いつだろうか…幼稚園だ。

たぶん、年少、年中、年長とある中の年中だった記憶。

4歳?えっ、ほんと?桃色と赤色しか経験してないなー。

妹は黄色も経験しているはずだから3年は行っているはず。

そんな幼稚園に私は2年だけ通っていた。

真冬に乾布摩擦をするような幼稚園だった。

今だったら、おそらくないな。

そのような事させると親がすっとんでくるんじゃないか?

うちの子が風邪でも引いたらどうしてくれるのっ!!って感じ?

でも入園させる前にリサーチするか。するよね?

まあ、あたしに子供がいないので親の気持ちがわからんのですみません。

でも丈夫に育てたいよね。

 

通っていた幼稚園はド田舎にあった。周りは田んぼだらけ。家はちらほらあった。

真冬の古びた茶色の木造園舎。

中ではストーブが焚かれてあってちゃんと囲いがされてる。

触らないようにね。

園舎の中はこれまた木の板が貼り巡らされてあって、それは艶がある木だった。

そのような園舎の前はちょっとした庭のようになっていて遊具がたくさんあった。

ジャングルジム、渡り鉄棒??名前忘れた(-_-;)のようなものがあった。

雪が吹雪いている中(!?)幸いに積もってはいなかった。

ジャングルジムのそばでお友達とぶるぶる震えながら一緒にいた記憶。

しかも上半身裸だからっ!

なぜ上半身裸だったかというと乾布摩擦し終わった後だからだよ。

一年中寒風摩擦やってたから今こんなに丈夫な身体になってしまったんかな?

それはそれでよかったのだ。嫌だった記憶が全くないから。

よ~く考えよ~~  

お金よりも身体のほうが大事。

 

記憶の中の幼稚園児(あたい)はどんなタイプの人間だったかな。

あんまり主張するほうではなく、決まったんならやろうかという感じやったかな。

流されていたといえば聞こえが悪いが、柔軟にしていたといえば聞こえはいい。

柔軟にするほど考えも持っていなかっただろうから、

よくあんな狭い範囲の子供時代を生きてきたねと褒めてあげたい。

 

 

訂正!

私はずっと「かんぷうまさつ 寒風摩擦」だと思っていた!

でも、私の中の何かが働いて、ググってみると

あらぁ、間違ってたじゃないの!

「かんぷまさつ 乾布摩擦」かいなぁ。

えー、、ずっと間違ってたよ😱

ロックダウンもあと少し

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昨日、おとといは嵐のような風が吹き荒れ、木々を激しく揺さぶり、

屋上の木々をなぎ倒して去っていた嵐。。。

雨も参加したり参加しなかったりの嵐。

まるで浄化するような雰囲気ではあったが、んなことない。

いつも通りのほこりが多いこの国…。

というのは都会だけの話。田舎は緑が豊かで空気も都会と比べ物にならないくらい

すがすがしい。

私は田舎に戻りたい。。。本気で。

必要最低限の持ち物で過ごせるということが分かり...いや、以前からわかっていた。

分かっていたよ、必要最低限の持ち物で過ごせることは。

でも、この何年かで多くなりすぎた。

おしゃれしたい気持ちもあるし、日本の生活用品が必要なこともあるから

どうしても譲れないものあります。そうするとたくさん持ってしまうんだな。

 

 

話はそれたが、現在、いやロックダウンしたときから

私が住んでいる地域は人がたくさん出歩いています。

リキシャ、オートリキシャ、CNG、車、トラック、バイク、…。

バイクは東南アジアで流通しているGRABのようなバイクも稼働している。

だって、警察官がそれに乗ってどっか行っていた。朝もはよからお疲れ様です。

普通にいつもの景色にバスと大型トラックを見ないだけです。

今日もたくさんの人が出歩いているなー。

でも大型トラックとバスがいないだけでクラクションの音が全く聞こえない!

バングラデシュなのにっ!!

バングラデシュと言ったら車のクラクションですよ。

そこら中に鳴り響くようなあの音。けたたましく激しく押して意志主張をしている。

あれがあんまり聞こえないってすごいな。

一瞬聞こえるけど、たいしたことない。

あー、トラックも走っているのか。今インフラの工事しているからか。

工事している方々おつかれさまです。

完全ロックダウンと聞いていたがそうでもないです。

お店も時短で稼働しているみたい。外に出ないから詳しい事わからないけど。

こういう時外に出て様子を見れたらいいなと思うけど、ボスに怒られるわ。

 

 

ここの人たちはほんとマスクしないですね。私もできればしたくないけれども。

まあ、マスクしたからってコロナを防げるとは思っていない。

ここバングラデシュではほこりがひどいのでコロナというよりかは

ほこり対策でマスクをしているのが私です。

だーかーらー 田舎で過ごしたいのよ。

緑に囲まれてゆったり時間が流れる場所。

自分を取り戻せそう。なんだそれ。

あっ、あとは化粧をしなくていいという利点。あれ?利点なのか?それは。

 

 

振り返り 適応 海外

私の強みとは何だろう。

最近考える事が多い。

高校卒業した時は目標があった。

「洋服を一人で仕立てるようになりたい!」

前途多難ではあったが、目標は達成しました。

ついでに、

小学生の時の文集で書いた「パン屋さんになりたい」という夢は

達成はしていないが自力でパンを作れるようになり、

ライセンスというものも取得した。

取得したくらいの時は自宅でパン教室なんぞもやっていたな。

それは友達に向けてだったけど。

それも友達の結婚を機に止めてしまったし、私も海外に来てしまった。

このライセンスはもう無効だろうなぁ。

でも、自分で楽しむ、家族に楽しんでもらうという事ではよかった。

この2大目標は達成し、次は何だろうと漠然と過ごしていた時に出会ったのは

ニュージーランドだった。

ニュージーランドに出会ったというよりかは、

カナダとニュージーランドの2つあって私が行きたい時期には

カナダの締め切り?(ちょっと忘れました)が間に合わなかったので

ニュージーランドにしたという経緯。

結果的にはニュージーランドにしてよかった。

そこから海外熱が始まり、今は仕事で海外にいる。

ニュージーランドとは似ても似つかない場所です。

私はとりあえず環境に適応できるということが分かった。

これがもしアフリカだったりしたら適応できるのかはわからないが…。

今の国も来年で10年目になるのか。早いな。

コロナでいろいろあるけど、また戻れてよかったなと思っているし、

そろそろ区切りをつけたほうがいいのか迷う自分がいる。

会社が存続する限り、、、ということも考えたが

自分の人生は自分で舵取りしなきゃという気持ちもあり、今だ心決まらず…。

 

とりあえず、ニュージーランドは海外へと誘うきっかけだったのと、

私の強みは環境に適応するということか?

 

 

 

 

 

わたしとインターネット

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私がインターネットに出会ったのはもう20年以上前。

 

初めて働いた会社でのことでした。

CADを扱う部署にいたのと、その当時iモードが流行っていたことで、

夜な夜なチャットにはまりガラケーでチャットをやるのが

辛くなっていたような気がする。

そしてパケ死を3回?いや5回くらいやってしまった気がする。

だが今は、んなこたどーでもいい。

チャットに出会ったのは1回目の引っ越し先でだったな。

5階建ての最上階の角部屋。最高のロケーション。目の前は生駒の山々。

そのチャットを知ったのもどうやって知ったのだろう?

今では全然思い出せない。

 

部署内は自作pcを作るような先輩たちばかりだったので

私も自作するのか?と思っていたけど、私には無理があった。

安く済ませるのは良いがただ単に面倒だったこともある。

動かなくなったPCを見に来てくれた先輩。

床に寝転がってPCを見ていた姿は忘れらなない(笑)

 

初めて買ったパソコンはなんばのビッグカメラ?だったかな?

ジョーシンだったかな?プランタン難波の近くだった気がする。

あ、ジョーシンカード作ったからジョーシンだ(笑)

so-net。デスクトップ型で10万くらい。そのお店で一番安いものを買った。

 寮を出て2回目の引っ越し先にやってきたPC。

初めて買ったパソコンでのインターネット、めっちゃ感激した。

インターネットをつなげるのに固定電話を引きADSLかISDLを申しむ。

その後はケーブルテレビを契約して固定電話止めたと思う。

 

一緒に働いていた女の子にもらった北斗の拳でブラインドタッチの練習をし、

魔法のiらんどで自分のホームページを作り、チャットのオフ会に参加するために

東京に言ったり、大阪市内まで出向いたり、茨城にも行ったりしたわ。

私が入っていたチャットにはいろんな人がいた。

ハンドルネームでチャットしてあれこれ話す。

あの頃は今ほど厳しくもなく楽しかった。

人間関係もいろいろあったけど、

たぶん純粋に楽しんでいたと思う。それか私がめっちゃツイてる人間か。

あの頃の知り合いとはもう連絡を取り合わなくなったけどなかなか思い出深い体験。

 

チャットとは別にコミュニティーに入って交流もたくさんした。

その中にはねずみ講をさせようとする人もいた。

浄水器を売ろうとする人。三宮まで行ったさ、話を聞きに。

森ノ宮でもそんなことがあった。

その中でも違うコミュニティとの約束をダブルブッキングしたり、

どちらかを天秤にかけるなどやってはいけないだろうこともやってしまっていた。

今だったらそんなことしない。どちらか決める。

ネットで知らない人と二人きりで会ったり、

京橋駅で終電なくなったから泊まらせてくれと言ってきた男性には断固拒否し、

無理やり家に帰らせて、その後は合コンをするような関係になり、

その男性が後輩女子と付き合うようになり

「あの時、拒否してくれてほんとによかった」と後輩づてにお礼を言われたなど。

若かった。

 

占星術界隈では風の時代と言われていて(私はそこまでのめりこんではない)

インターネットは必須、人とのかかわりあい、横のつながりなどと聞いていると

私は20年前くらいを思い出す。知らない人と会ったり、コミュニティに入ったり。

似ているのかな?オンラインサロンと同じ感じがするのよね。

昔と比較にはならないけどね。いろいろと進化し発展しているから。

 

今思うのは昔のほうが初めての事にもあまり躊躇なく飛び込んでいたこと。

今はどちらかというと尻込みしてしまうこと。

本当はやりたいけど…。というのか大半のような気がする。

当時もあれこれ理由つけてやらなかったこと、やったことある。

昔ほど行動力が無くなったのかな。

 

良い意味でインターネットを味方につけて今後を過ごしていきたい。

どうやって味方につけるのかを考えないとね。

 

これがわたしとインターネット。